明日東京で行われる「しあわせの経済フォーラム」に参加します↓↓↓
https://www.facebook.com/events/145541969728968/
参加される方はぜひ会場で会いましょ~!
この機会に自分なりに経済(お金やそのしくみ)について思うことを書こうと思ったけど、文にしようとするとなかなかまとまらず…(せっかく書いたので途中まで)
「しあわせの経済」
自分が目指したい、いのちが調和した世界を思い描く時、お金始まりの発想では実現し得ないだろうと思っています。
今、世界的な問題なのは、人間の活動によって、他の多くの生きものが絶滅し、地球(森・川・海)が汚れていっていることでしょう。それが僕たち人間の存続も危うくしているのです。
僕たち人間も生態系の一部でしかなく、地球とその上に暮らす数え切れない命に生かされた存在であるはずです。
イメージとしては、大きな輪を思い描き、それが命の世界だとして、その中にほんの小さな輪を描き、それが人間の世界だとして、その中にさらに小さな輪を描き、それが人間の経済(お金)の世界だとします。
問題なのは、その一番小さな輪である経済が、命の世界を破壊していることでしょう(このイメージはソーヤー海さんが使っていて分かりやすいと思いました)。
僕はお金の価値をその一番小さな輪ぐらいの小さな価値として捉えています。
僕にとって大切なのは、円よりも“縁”です。
人との繋がりや、僕たちを生かしてくれている地球(森・川・海)と生きものたち(地球家族)との繋がりを増やすことがよっぽど重要なことです。
日本や多くの“先進国”は、GDP(国民総生産)を増大させることを目標にしています。モノやサービスをいかに生産し消費するかです。その数値を追い求めることで多くの命が悲鳴をあげているのです。
僕はブータンのようにGNH(国民総幸福)、どれだけ人々が幸せであるかを目標に掲げる方が良いと思います。
仏教国ならではだと思うのですが、生きとし生けるものへの敬意があり、命の世界のご縁(繋がり)を大切にしているように感じます。
どうしてお金やそのしくみが、命の世界を破壊してしまうのでしょう。
それは、お金を中心に暮らし(衣食住)を成り立たせていく程に、自分を生かしてくれている地球(森・川・海)や他の命との繋がりが薄れてしまうからだと思います。
僕は都会育ちなのでその実感があります。
植物の存在がなければ息をすることもできない。
今日いただくごはん(命)がないと生きていけない。
自分に水をくれている森(山)や川、命を育む大地や命のふるさとである海が汚れてしまったら?
地球や他の命と僕たちは分かれているように見えて実は一体の存在であると言えると思います。
命の世界をお金(数字)で測ることはできるでしょうか。
無償で与えてくれているそれらの恩恵にお金をつけるとしたら、いくら払っても足りないのではないでしょうか。
僕たち現代人は地球をあたかも所有しているように振る舞っていますが、全く逆で、僕たちが地球に属しているということだと思います。
人と繋がり、地球や他の命との絆を結び直すことで心が豊かになり幸福感が得られると僕は実感しています。
人生やコミュニティ・国の指針としても、ブータンのようにお金発想ではない、人間中心ではない価値観への大転換が必要だと思います。
お金発想となるので本質ではないと思うのですが、お金やそのしくみについても触れたいと思います。
人間中心の便利快適を生み出すためにお金やそのしくみは驚くほど効率的に機能していると思います。
問題なのは、お金やそのしくみに個人(皮膚の内側だけの小さな自我)の利益(欲)を増幅させる働きがあることだと思います。
こと資本主義社会においては、個人の利益を追求すること、お金を増やすことを是とする考え方でデザインされています。
・
・
ここまででしたが、後に関連することを書きました↓
コメントをお書きください