大変遅ればせながら、新年初投稿!
今年もよろしくお願い致します!
映画「カンタ!ティモール」の地・東ティモールの旅から無事日本に帰ってきています。
なっちゃん・サダムさんのおかげで、もう言葉では表せないほど心に残る旅となりました。
なっちゃん・サダムさんはティモールの人たちと家族のような絆で結ばれていました。現地の言葉(テトゥン語)を話し、丁寧に関係を築いていることに感銘を受けました。その輪に交わらせてもらい、「カンタ!ティモール」の世界を体感させてもらいました。
旅はサダム兄さんがメインのカバンを家に置き忘れてくるというハプニングから始まり、2日目の夜には生野菜を食べたせいか、みんなお腹を壊して、一緒の部屋だった僕と妻はトイレの便座の争奪戦を朝まで繰り広げるという波乱の幕開けだったのですが、それでも3日目には「今帰っても十分来た甲斐があったね」と二人で言い合っていたほど充実した時を過ごさせてもらいました。20日間の感動をここに表すことはできないですが(少しずつアウトプットできればと思っています)、今思い出すことを写真と共にアップします。
どこに行っても歌と踊りがあり、陽気な人たちがいて、子どもたちの弾ける笑顔がありました。
親族がとても仲が良くて、驚くほどの大家族でした。
年末年始を共に過ごさせてもらったお家には親戚中が集まっての大賑わい。(ティモールの言語に「甥」「姪」という言葉はなく、きょうだいの子どもも自分の子どものように接するので、何人いるか分からないぐらいの大家族なのです)
人と人の距離の近さを感じました。会ってすぐに友達になったり、家に呼ばれてご馳走になったりすることが度々ありましたが、妻は「イチャリバチョーデー(一度あったら皆きょうだい)」という言葉がある沖縄での暮らしを思い出したと言っていました。
おじいちゃん・おばあちゃんが敬われていたり、若者が子どもたちを優しく見守っていたりと微笑ましかったです。
あと、なっちゃんから聞いていましたが、壮絶な戦争を生き抜いた人たちがとても澄んだ目をしていて、泣けてくるほど優しさに溢れていました。
アレックスも独立運動時に拷問を受け、父と呼んでいた叔父さんが虐殺され、深い傷を負っていたことを知りました。
彼のあの優しい笑顔とあのメロディーや歌詞からは想像できませんでした。
独立後も平和のために、人々のための政治を実現するために働き続けていたそうです。
(アレックスや家族のことをなっちゃんが書いてくれているので是非こちらをご覧ください→https://www.facebook.com/canta.timor/posts/1671091279578518)
筆舌に尽くし難い暴力を受けながら、人を恨むのではなく、人に優しくすることを選んだ人たち……
自らも暴行を受け、8人の弟全てを亡くしながら「悲しいけれど、それは怒りじゃない」と語っていたことが印象的なサントスさんにもお会いしました。
自分が死ぬことは覚悟していたと話されていました。お金をもらってティモールを離れて安全に暮らすこともできたかもしれないけど、それを選ばなかった。
日本に暮らす僕には理解し難いことですが、先祖が守ってきた大地や、家族、これから続いていく命、との繋がりが切れないほどに強いのだと想像します。
「僕らの過ちを大地は見ているよ」
アレックスが“僕ら”の過ちと歌っているように、サントスさんが家族を殺した相手にさえ恨みを持っていないように、彼らは極限の状況でも、自分という個の命ではなく、全体の大きな命を生きていたのではないかと思います。
心痛むのは、僕たちの国は虐殺を続けるインドネシア軍の側にいたということ。
国連総会で、「インドネシア軍の撤退」に対してずっと反対票を投じ、巨額を送り続けた日本。
アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの大国もこの虐殺を支えました。
インドネシアを資源供給国と捉え、ティモール沖にある石油や天然ガスを国益と見たのでしょう。そのためにどれ程の血や涙が流されたことでしょう。
ショックだったのは、それは終わった話ではないということでした。
戦争当時、命懸けで取材をされた南風島渉さん、そして今回お会いしたイギリス人ジャーナリストのマックス・スタールさんが言われていました。
「西パプアではインドネシア軍が同じことを続けている」
資源開発のため、軍が住民を強制的に追いやり、弾圧を加えているそうです。
その大口の供給先に、日本があります。
僕の国にも心優しい人たちがいっぱいいるのです。誰も戦争なんて望んでいないと思います。
それでも…僕たちが手にする物質的な豊かさの代償に、ほんとうに心痛いことですが、暴力で傷ついている人たちや破壊される自然があるということを心に刻まないといけないようです。
僕たちが暮らしの一つ一つに心を込めることで、きっと変えていけると信じています。
僕たちが何気なく預けているお金はどこに使われているでしょう。
(盲点となっているお金の預け先。メガバンクには人権侵害に当たるプロジェクトに投融資しないことを望みます。預けない選択肢もありますし、預けるとすれば、顔の見える範囲でお金が回るよう、組合でつくる金融機関が良いのではないかと思います)
僕たちが選んだ政府はどこを向いて行動しているでしょう。
(参考に、南風島渉さんが書かれた記事→核兵器禁止条約に反対する日本の、70年代から変わらない「やり口」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54057)
ティモールで平和のために力を尽くしてくれた人たちへの罪滅ぼし・恩返しは、自分自身が成長することで果たしていけたらと思っています。みんなで知恵を出し合いましょう。
最後に、旅の始めから終わりまで、ずっとお世話になったエゴ・レモスさんニャンティさんご家族のことを。
家族のように接してもらって、毎日幸せを感じていました。年末年始を過ごさせてもらったのはニャンティさんのご実家です。
エゴ・レモスさんは国民的なミュージシャンで、「カンタ!ティモール」でも使われていて、一度聴いたら心地よいメロディーと詩のような歌詞が忘れられません。
ティモールでエゴさんの歌を口ずさめば、みんな知っていました。
国民的スターでありながら、とても親しみやすく、周りの人も親戚の叔父さんのように接しているところはティモールならではでしょうか。
エゴさんはパーマカルチャーの実践家でもあり、素晴らしい平和の種まきをされています。エゴさんの働きによって、全ての学校の授業にパーマカルチャーが取り入れられたというから驚きです。今は、学校に実践の場としてのスクールガーデンを増やしたり、水源を守ったりと幅広く活動されています。
今年11月には、ワールドワイドなパーマカルチャーキャンプを千人規模で計画しているというので、参加したいな~と再訪を考えているところです。天使のような子どもたちにも早く会いたい。
ティモールの思い出は尽きません。出会ってくれた皆さんに感謝です!
これからも地球家族としてお付き合いさせてもらいたいです(^-^)