去る3月11日、僕は福島県南相馬市小高区にある同慶寺(福島原発から約17km)にいました。
東日本大震災から丸3年となるこの日、ご住職の田中徳雲師が同慶寺にて慰霊祭を開催されました。各方面から宗教者の方や思いを持った方たちが一堂に会し、宗教や民族や職業を越えて、祈り合わせが行われました。震災や原発事故で傷つき、亡くなられた方たちの平和を、すべての生きものたちの平和を祈りました。この日、世界中で祈りが捧げられたことでしょう。
平和のために全国を祈り歩かれている方たちがいます。
「命の行進」と名付けられた行進は、日本山妙法寺の佐藤達馬上人によって2008年から始められました。佐藤上人は、お釈迦様の生誕地であるネパールのルンビニでご修行されておられますが、精神文明より物質文明に傾倒する日本の状況を憂いて、2008年から毎年巡礼に来られています。2011年以降は、震災で傷つき、亡くなられた方たちの慰霊、そして、人間が自然を破壊してきたことに対する懺悔と、自然と共生する生き方の提示を主な目的とされています。
田中徳雲師も「命の行進」に参加され、同慶寺から青森県の大間まで約1000kmの道のりを祈り歩く旅に出られました。約1ヶ月半を経て、昨日4月30日に到着されました。
僕は「命の行進」に主に撮影や伴走車の運転で参加、時に、祈り歩かせて頂きました。
ネパールや日本各地から集まった「命の行進」の皆さん、被災地で出会った皆さん、ありがとうございました。
私につながる生きとし生けるもの、あまねくものが平和でありますように。
今回、参加させて頂き、いろいろなことを感じましたが、特に忘れないようにしたいことを書いておこうと思います。
徳雲師は「歩いていると自分が大地なのか、大地が自分なのか分からない感覚になってくる」とおっしゃっていましたが、実際、歩き続けていると自分と世界との境界が分からない感覚になりました。
映画を「祝福(いのり)の海」と名付けてから、「祈り」について考えることが増えたので、歩きながら、太鼓を叩きながら、祈るとはどういうことだろうと繰り返し自問してみました。
そして、感じたこと。
それは、祈りとはつながりを感じることではないかということです。自分と世界とのつながり、「生きとし生けるもの」や「あまねくもの」とのつながりを感じること。
自分という存在にすべてのものがつながっている。
例えば、目の前に見える雲。いつか雲は雨となって大地に注ぐ。草木を育て、実りをもたらす。それを私が頂き、命をつなぐ。私が死んだ後は、大地や海に流れていき、いつかは雲になるだろう。
雲は私であり、私は雲である。
「あなたはわたしでわたしはあなた」であるという感覚。
そして、その奇跡のようなつながりを感じた時、「愛」や「感謝」が生まれてくる。生きとし生けるものを愛おしく感じたり、あまねくものに感謝の念が溢れてくる。
マザー・テレサは「愛の反対は無関心」と言いました。無関心とは心を向けないこと。そこには愛は生まれないのだと思います。逆に、祈り、心を向けると、愛が生まれると思うのです。
僕を含めて、祈ることが少なくなった現代人。安倍総理は「日本を取り戻す」と言っていますが、僕は、自分と世界とのつながりを、祈りを、取り戻したいと思っています。
今回、自分が求める平和について深めることができました。僕にとっての平和とは、言語化すると、生きとし生けるものを慈しみ、あまねくものに感謝すること。
その心で、衣・食・住、自分の暮らしを根本から見直し、つくっていこうと思っています。できることから一歩ずつ。喜びを分かち合いながら、希望を積み上げていく暮らしをしよう。
ひとりひとりの平和から、世界のあらゆる問題、原発や戦争や貧困問題などを解決できますように。
この美しい地球の上で、みんなで知恵を出し合い、和合の精神で、平和な暮らし・世界を生きていきましょう。
(関連記事 : 大地といのちの祈り http://bit.ly/1bDreyF)
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祝島と福島と海に生きる人たちを追ったドキュメンタリー「祝福(いのり)の海」
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大平達郎 (月曜日, 03 11月 2014 15:12)
「命の行進」015年の計画を教えて頂きたいのですが?
参加申し込み方法なども含めてお願い致します。